深く潜れ

Let me settle my mind boy

私が橋本担を名乗るまで

数あるジャニオタ特有の文化の中でも、特に不思議に思っていたのは担当制度でした。初めて担当という言葉を使うことを知った時には、単純にファンという意味で使われているだけだと思っていて、だから敢えて使う必要はない、と避けていました。今でこそ自分が疑いようのないジャニオタだと認めていますが、同時はオタク文化に染まりたくない!私は彼らが好きで応援してるだけ!ジャニオタじゃなくてただのファンなの!という葛藤があったのです。


しかし数あるジャニオタブログに出会い、皆様それぞれの担当への熱い想いに触れて、オタクの数だけ担当の概念があるという事に気づきました。応援するスタンスも気の持ちようも、自分の好きなかたちで良いんだなと。そのことにいたく感動したのですが、その時私は自分が応援しているグループも、その中で特にお気に入りの子の事も、担当と呼ぶことはできませんでした。

自分の中で担当の概念がはっきりしていなかったし、これからの身のふり方に自信がなかったせいかもしれません。前にも少し触れた事がありますが、コンサートが何だか怖いところのような気がしていたから。今担当と呼んでしまったら、もっともっとのめり込んで、怖いのにコンサートに行きたくなるのでは?アイドルに夢中になってしまったら、せっかく結婚出来たのに夫に呆れられるのでは?と、自分で自分にストップをかけていたようにも思います。


正直今も何がきっかけだったのかよくわからないのです。ただ、橋本くんの事が気になり出した時にちょうどソロコンが発表されて。これは絶対に見に行かなくては、と思ったんです。本当は5月末の代々木にも行きたいと思ったんですが、直前すぎて申し込みなんて勿論していないし、チケットを探す事も考えていなかったので、映像化したら絶対に買おうと決めました。

それに加えて、CDの多種売りに不満を抱いていたはずなのに、何の迷いもなくアルバムの初回2種を購入していた自分に気づいて。もう、認めるしかないや。この子はわたしにとって特別好きな存在なんだなぁと。それから私は橋本担と自称するようになりました。


一言で言えば、私にとっての担当は「特別好きな存在」なんだと思います。一番じゃなくて特別だから、多分ひとりだけです。私は橋本くんのことを時々王子様だと言いますが、それは特別と同意義なんだと思います。ここまでで終わらせておけば、夢見がちなお花畑オタク的には綺麗にまとまった感があるかもしれませんが、その特別を掘り下げてみたら、ちゃんと現実的ですので安心してください。


私にとって担当とは、

・コンサートを見に行きたい人で

・グッズやメディアにお金をかけたい人で

・そうすることで売り上げに貢献したい人で

・憧れであり癒しであり、愛でたい存在なのです。